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西郷どんスペシャル 「西郷と大久保 明治に挑んだそれぞれの道」 [大河]

(2018日)明治編に入る。西郷は未来の農業を考えていた。
奄美大島での生活で政治とは離れた根本的なことを考えたのでしょう。

西郷や大久保にゆかりのある現在の人たちへの取材も含め、
毎週のドラマを少し立体的に理解できるようにした番組なのでしょう。

西郷の肖像を掲げる血縁でない人たちがいたことに驚く。
自分たちの「先祖」と考える。
自分の祖父や曽祖父がお世話になったからという感謝の次元でない、
西郷は望んでいないが神のような存在として畏敬されているのでしょう。


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NHKオンデマンド 西郷どんスペシャル 「西郷と大久保 明治に挑んだそれぞれの道」



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北朝鮮と地獄

北朝鮮のローマ法王招請、金日成時代には頓挫 「宗教の怖さ」痛感、弾圧続く【産経news】
https://www.sankei.com/life/news/181018/lif1810180044-n1.html


この記事では、北朝鮮の教会が、日本統治時代で57か所、信者5.2万とする。
「信教の自由」大日本帝国から共産主義の弾圧地獄となったかのようだ。

今回のローマ法王招請の記事にどこまで詳細に歴史に踏み込むかは記者としての矜持によるが、

実態は、神社参拝を義務化して、
プロテスタントは日本基督教団にまとめ再臨信仰を含む教団を
見せしめに弾圧した。

天国から地獄ではなく、地獄レベル4から地獄レベル7、
に変わったと考える方が正しいでしょう。



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ローマ法王になる日まで [映画]

(2015伊)現ローマ法王の前半生を描いた作品。
コンクラーベの過程は無い。アルゼンチン独裁時代とドイツ留学時代。

大学で化学を学んでいたベリゴリオは、1960年、献身を決意。
イエズス会に入会する。

独裁政権下、住民への弾圧、住民と共にいたいあまり過激派と近づく聖職者。
息をつく暇もない信仰生活だった。
現実に身辺に危害が及びそうな人を匿い、国外へ逃がす。
が、知人友人の失踪や死があいつぐ中、絶望は許されなかった。

独裁が終わり、ドイツ留学となり、「結び目を解く(ほどく)マリア」を知る。
南米に導入したようだ。

「解放の神学」「マリア崇拝」を描くが、
神学的に厳密には肯定されるものではないが、現実の世俗に生きる者の導入としては
許容されるものなのでしょう。

作品の面白さは、評価が割れるのでしょう。


TSUTAYA ローマ法王になる日まで / ロドリゴ・デ・ラ・セルナ




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情容赦のない将棋

「角」が駒を飛び越える トップ棋士が反則負け【産経news】
https://www.sankei.com/life/news/181019/lif1810190013-n1.html


うっかりミスを許さないようだ。
もちろん戦場で指揮官が誤った命令は許されない。

緊張感を維持するためにも、将棋という権威・格を維持するためにも
ゲームの続きが見たくとも、その時点で勝敗を決めるべきなのでしょう。



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草燃える 総集編 第3回 征夷大将軍 [大河]

(1979日)

文治元年(1185)3月、平家を滅ぼした。
が、後白河法皇は功労者たち24人に官位を与えた。


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4月、激怒する頼朝は、勝手に受けた者たちに、
「月夜の晩ばかりではないぞ」「・・・れば、命は無いものと思え」
など、手紙を書かせた。



4月24日、義経、壇ノ浦から京へ凱旋。
5月15日、義経、鎌倉へ向かうも入れなかった。京へ引き返した。


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10月17日、頼朝、土佐坊昌俊に義経を襲撃させた。
     義経は土佐坊を晒し首にし、頼朝、激怒。

11月、義経は西国へ逃げ、法王は、鎌倉の要求のほとんどを認めた。


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文治2年(1186)4月、静御前は鎌倉武将らの前で義経を想う舞を披露した。
頼朝は激怒したが、政子が取り成し助かった。
が、身籠っていたので、大姫(頼朝の娘)は「鎌倉から逃げなさい」と助言。
男児だった場合は殺すために、鎌倉で暮らすよう勧められたのだった。
大姫は、婚約者だった木曽義仲の嫡子義高を父に殺された恨みがあった。


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文治5年(1189)閏4月30日、義経、死去。享年31。

建久3年(1192)は、頼朝にとり節目の年となった。
 3月、後白河法皇崩御。享年66
 7月、後鳥羽天皇より征夷大将軍となる。
 8月、次男、実朝誕生
 9月、北条義時(松平健)比企の娘と婚姻。


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NHKオンデマンド 草燃える 総集編 第3回 征夷大将軍

建久4年(1193年)5月、富士の巻狩りにて、後に第2代将軍となる頼家(鶴見辰吾)、鹿を射る。

少年時代は(武将としては)優しそうな男の子だったが、
2014年の『軍師官兵衛』にて小早川隆景で毛利家を支える。



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翔ぶが如く (2ー16) 西郷軍挙兵 [大河]

(1990日)

明治10年(1877)2月、陸軍が武器弾薬を県外に持ち出し始めたので、
私学校の生徒ら1000人規模で弾薬奪取する。元々、鹿児島の物ではあった。


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この段階では西郷がかかわってなかったので、大久保は安心するも、
川路が、西郷を場合により亡き者にする腹づもりを密偵に語ったことを知り、
大久保激怒する。


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村田新八、生徒への容赦なき暴行。



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2月6日、「私学校」の門標を「薩軍本営」に変更。
右、別府晋介、桐野利秋の従弟。征韓論の際、朝鮮に2か月偵察。


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同日、作戦会議。熊本城へ攻めることに決まった。
西郷の左、村田新八、小兵衛(四弟)。永山弥一郎、辺見十郎太
西郷の右、桐野、篠原、野村忍介、別府晋介、池上四郎


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隆盛が総大将となっていることを知った従道と大久保。


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大久保の鹿児島行きに反対する、山縣、伊藤、木戸



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菊次郎の初陣に反対する母

が、2月15日、西南の役となる。一番大隊が熊本へ向かった。


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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第16回 西郷軍挙兵


17日、隆盛、桐野、村田らも熊本へ向かう。
町中の家族が見送った。
小兵衛(金山一彦)を追いかける松と幸吉だった。
  


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地方警察武装解除 (メキシコ)

腐敗進む地方警察を武装解除 犯罪組織が浸透、メキシコ(産経news)
https://www.sankei.com/affairs/news/181017/afr1810170032-n1.html


犯罪組織が地方警察に入り込み、悪が蔓延し、
軍が介入しているようだ。

自浄作用と捉えれば、健全化となる。

日本では、関東のある県はズブズブといったことを、
どこかで知ったが、軍が動いたと寡聞にして知らない。そもそも軍はない。
日本では戦後、警察が抑えてきたらしい。

近年は、口座も作れなくなっているので、犯罪組織にいることは厳しいようだ。
日本でも自浄作用がなされていると信じたい。




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葵(あおい) 徳川三代 総集編 第2回 征夷大将軍 [大河]

(2000日)

石田三成らを処刑して半月後、
慶長5年(1600)10月15日、家康らは大阪城に入り、秀頼と淀殿に挨拶した。
この段階では、淀はご満悦だった。
秀頼の父が三成ならこの展開は考えにくい。


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秀頼(7歳)に挨拶する、家康、秀忠(三男)、忠吉(四男)


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秀忠の継室、お江。(正室は秀吉の養女だが、6歳で早世している)
お江は浅井三姉妹の末っ子で、1573年の浅井滅亡の年に産まれている。
文禄4年(1595)に6歳下の秀忠と再婚する。
長女、千姫は秀頼に嫁ぎ、次女、珠姫は3歳で前田家へ。
三女、勝姫は、松平忠直(結城秀康の子、家康の孫)に嫁いだ。


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秀吉・秀次の後、空位になっていた関白を
九条兼孝が就いたことに、淀殿、激怒。大阪城で家康に問い詰める。


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慶長8年(1603)2月、将軍宣下の詔。


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同年、7月、娘の輿入れで大阪城に向かった。
再会を喜ぶ三姉妹。お初(次女)淀殿(長女)お江(三女)



慶長 9年(1604)7月、家光が誕生する。が、お福(後の春日局)が育てることとなる。
慶長10年(1605)、秀忠が第2代将軍となる。
慶長11年(1606)、お江、次男、忠長が誕生。自分で育てると秀忠を無言で恫喝する。

が、慶長12年(1607)不幸が続いた。
3月、家康の四男忠吉、死去。享年26。
4月、家康の次男結城秀康、死去。享年33だった。


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この頃、病の家光を見舞ったお江だったが、家光はお江を認識していなかった。
お福(樹木希林)に懐く家光。
極道の目になるお江だった。



慶長16年(1611)家康は上洛し、二条城に秀頼を呼び出すことにした。
淀殿は反対だったが、「千姫の祖父に挨拶する」と秀頼は承知した。


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NHKオンデマンド 葵(あおい) 徳川三代 総集編 第2回 征夷大将軍

左が高台院(秀吉の後室、北政所ねね)、
後ろには、加藤清正や浅野幸長がいた。関ケ原では家康に味方した者たちだった。

家康から盃を向けられた秀頼(尾上菊之助)『西郷どん』では月照役で、西郷と心中する。

主従が逆転した歴史的瞬間だったと、
突然、水戸光圀(中村梅雀)が登場し、解説した。

何故か、助さん、格さんが、女性だった。

ジェームス三木、絶好調でした。






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家康の駿府城跡から“因縁”秀吉の天守台が出土、金箔瓦約330点も【産経news】


【産経news】家康の駿府城跡から“因縁”秀吉の天守台が出土、金箔瓦約330点も



駿府は16世紀に今川領から武田領となり、
1582年に織田徳川連合軍で武田を滅ぼした後、家康が浜松城から拠点を移したそうだ。


そして天正13年(1585)に家康が駿府城をリニューアルしたようだ。

次に、天正18年(1590)に秀吉系の中村一に移ったようだ。
この中村時代の増改築で秀吉の支援があったとのことだ。

それが、再び、家康に戻ることとなった。


記事のタイトルで、家康の秀吉ゆかりのモノを使って権勢を見せつけるためかと思いましたが、そういう悪趣味は美意識に反するのでしょう。



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翔ぶが如く (2ー15) 士族暴発 [大河]

(1990日)明治8年(1875)6月、大久保は「新聞紙条例」「讒謗律」で言論弾圧にでた。


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翌9年(1876)2月、鹿児島の西郷家は、愛加那との長女菊子(14)を引き取った。
同年に大山巌の弟の誠之助と婚約となる。


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大久保は家を増築し、要人を招いた。
前回、西郷下野後、鹿児島の妻子は東京で暮らすこととなった。


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大久保、大先輩、鹿児島県令の大山綱良を呼びよせる。


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鹿児島の不穏な動静を探るため、密偵を入れることを提案する川路。
バレたら一大事になりかねないと、消極的な従道。




が、明治9年(1876)10月24日、熊本で「神風連の乱」が勃発。
27日、福岡で「秋月の乱」、
28日、山口にて前原一誠ら「荻の乱」を起こす。連発だった。


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翌日の29日、永岡久茂(旧会津藩士)は、海老原穆(旧薩摩藩士)の集思社を去った。

その日、千葉県庁を襲撃しようとしたが、失敗。
長州の「荻の乱」に呼応した、会津の「思案橋事件」だった。


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大警視の川路は、鹿児島私学校への調査班を編成した。
中原尚雄(渡辺いっけい)らは城下士とは違う郷士だった。川路は再確認する。


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江藤新平の書生だった矢崎八郎太も東京を去り、西郷を訪問する。


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私学校で、青年の暴発を抑えようとする幹部3人。
永山弥一郎(遠藤憲一)、桐野利秋、篠原国幹か


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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第15回 士族暴発

陸軍が鹿児島の火薬庫から武器弾薬を持ち去ろうとする。
が、私学校の1000人規模の青年が奪取となった。
事態に憤る県令の大山綱良と私学校幹部の村田

暴発を防ぐため、青年を縄で縛ろうとも、
「腐り縄」ではどうしようもないと村田新八は言った。
幕末・維新を懸け抜けた彼らが、もはや「腐り縄」だと自嘲する。

東京の大久保は従道から鹿児島の動きを聞いた。
まだ西郷がかかわっていないことに安心するも、
鎮圧しなければならなくなった。



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