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昭和の選択 第2回「終戦への131日~鈴木貫太郎内閣の苦闘~」 [映像]

(2015日)昭和20年4月7日に鈴木は80で総理となった。
昭和天皇は終戦内閣とするつもりで「頼む」と言って引き受けさせた。

問題は陸軍で扱いを間違えれば何をするか分からない実力組織だった。
陸軍大臣を鈴木が侍従長だった時に侍従武官だった阿南惟幾とした。
そして総理となった所信表明で「私の屍を超えていけ」と勇ましい言葉を発したようだ。表向きは「聖戦完遂」でタイミングを見計らっての一撃後の講和論者だった。

4月12日にルーズベルトが他界、5月8日ドイツ降伏、
その4日後の11日に最高戦争指導会議で、終戦が口にされた。
連合国の無条件降伏の要求に対して、外相の東郷は「国体護持」の1つ。
阿南は、本土決戦での一撃講和論だった。

7月26日にポツダム宣言が明らかにされ、会議では「何も言わない」こととしたはずだったが、鈴木は「黙殺する」と言った。無視することと「黙殺する」と言うことは大きな違いだった。

日本側はこの宣言の署名にソ連が入っていなかったため、ソ連仲介もありうると都合の良い夢を見たが、はかなくも8月8日にソ連に宣戦布告され9日に進軍した。


鈴木は、連合艦隊司令長官、軍令部長、海軍次官も経験しており、
軍人魂から一撃講和論に傾斜していたのでしょう。
がソ連に対して甘く見ていた。スターリンを「西郷南洲のような」人と判断していたこともあった。

一般的には4か月で陸軍を納得させる形での降伏に持ち込めたのは
成功と言えるのかもしれませんが、原爆投下を考えれば、
その4か月は「かかりすぎ」と批判されるのでしょう。


昭和のS 2終戦への131日鈴木内閣の苦闘20160818 投稿者 okura1919ppp
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昭和の選択 第1回「開かれた戦争への扉~日独伊三国同盟の誤算~」 [映像]

(2015日)1936年に日独防共協定が結ばれソ連を警戒していた。
が、39年陸軍が推進した三国同盟を検討するもドイツ案の「参戦義務」に海軍は反対していた。その8月に独ソ不可侵条約が結ばれ、平沼は「複雑怪奇」と思考停止し辞職した。
ポーランドを狙った一時的な握手だった。

翌年、ドイツとの同盟に反対だった米内内閣を倒そうと陸軍大臣畑俊六を辞めさせ後任を出さないという策謀の末、近衛内閣となり、外務大臣に松岡洋祐となる。

松岡は日独伊+ソ連で、英米に対抗できると夢を見た。

・ナチスがヨーロッパを抑えて英国も敗れると予測。
・独ソが仲良くし続ける。

そこに大国となっているアメリカの介入が外され、
希望的観測で三国同盟に走った。

41年4月に日ソ中立条約でハッピーだった松岡は、
6月の独ソ戦、12月に真珠湾で、「ぼく、一生の不覚」と呟いた。



昭和のS 1日独伊三国同盟の誤算 投稿者 okura1919ppp
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BS歴史館 疾走!足利尊氏 南北朝の扉を開く!? [映像]

(2014日)BS歴史館最終回。尊氏は大きな裏切りを人生で3度決断した。

①鎌倉幕府への裏切り

源氏の番頭にすぎない北条よりも血筋はよかったので、面従腹背を座右の銘としていたのでしょう。
弱小勢力の後醍醐勢を蹴散らすつもりで大軍を率いさせた尊氏が裏切るとは思っていない。

が、恩賞の無い2回の元寇との戦いでの不満が、北条の領地が分け前となれば、
美味しいと、後醍醐天皇の決起で、皆が考えてしまったのでしょう。

②後醍醐天皇への裏切り

 建武の新政で独裁を引こうとしたが、領地の配分に失敗する。
北条高時の遺児が鎌倉を占領したが、奪い返して、
くれなかった征夷大将軍を勝手に使って恩賞も勝手に与えた。
尊氏にすれば、弟が窮地となる現実が動いているのに、
権限を与えてくれなかったので、仕方なかったのでしょう。

③弟直義への裏切り

 結局、兄弟よりも自分の息子となる。



室町時代は昔は興味全くなかったのですが、
アクある人が活躍する面白い時代ですね。


BSR 足利尊氏20140313南北朝 投稿者 okura1919ppp



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英雄たちの選択  開国 阿部正弘・不屈の外交戦略 [映像]

(2014日)18で備後福山藩10万石の藩主となり、天保の大飢饉では全国的に30万の死者がでるも、彼は貯蔵していた米を配給し餓死者を出さなかった。
25で老中に抜擢されるキレ者だった。

1853年にペリーが来航し、筆頭老中の阿部が対応することとなる。
ペリーの「通商」の要求を撥ね「開国」に抑えることに成功する。
ペリーとの交渉は林復斉にさせた。

その7年前の46年にもアメリカ東インド艦隊のビドルが来ていたが、
帆船だったので軽く追い返した経験はあった。

55年に締結された日露和親条約は川路聖謨にさせている。
その他も含め全体を把握し調整していたのでしょう。

外国の通商要求に対して、阿部は幅広く外様や市井も含めて意見を求めた。
これが日本人が国民意識を形成していく画期的なこととなる。

彼は、洋学所、講武所、長崎海軍伝習所を作り、
それが東京大学、陸軍、海軍となった。

明治維新の原型が彼によって作られたと言っても過言ではないようだ。


eたち 阿部正弘 開国不屈の外交戦略20140227 投稿者 okura1919ppp
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BS歴史館 シリーズあなたの常識大逆転「幕末・日本外交の弱腰にあらず『林復斉・岩瀬忠震』 [映像]

(2011日)1853年にペリーが来航するが、そんなことは分かっていた。
1840年のアヘン戦争で清が負けたことで幕府エリートも敏感になっており、
オランダからの情報では、ペリーの年齢もいつごろ来るかなども心得ており、
全権の林は、ペリーの恫喝に対しても冷静であった。

54年に日米和親条約を結ぶが、これは開国ではなく、
薪水を与える場所を長崎から、函館と下田に増やしただけだった。
しかも彼ら外国人の移動範囲を7里と制限した、非常に限定されたものだった。

が、57年にハリスが来て、林の甥の岩瀬が全権となって応じた。
教科書的イメージでは劣位にたって不平等条約を結ばされたと被害者感覚が濃いが、
実際には、関税は20%で国際的にも低い数値ではなく、
領事裁判権といっても、長崎、新潟、兵庫、横浜、函館の5港の限定された空間を想定していた。

が、孝明天皇から勅許を得ることができなかったのが誤算だった。
折しも、英仏が日本に開港を迫るという危機が近くなり、
大老井伊直弼の現場判断でもOKという言質があったので、岩瀬は結んだ。

幕末外交のダメなイメージは明治政府によって作られたようだ。


BSR 常識大逆転 幕末日本外交20120814 投稿者 okura1919ppp
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ザ・プロファイラー「誰かのために生き抜けるか~諸葛孔明・天才軍師伝説の真実」 [映像]

(2013日)孔明の生涯をサラッと追う。
三顧の礼で劉備に迎えられた孔明は、三国を均衡させることに成功する。

が、経済的軍事的に劣位の状況下で、主君の悲願である「漢の再興」を受け継ぐこととなった。

丞相として内政・外交・軍事の全権を掌握したまま、
何度も遠征。激務でロクに食事もとらず、234年に54で没するが、
幸せだったのか不幸だったのか。

他人から見れば、大きな責任を与えられ歴史に名を残したので
後世から「孔明は幸せだった」と言われても、霊界の孔明は苦笑するだけでしょう。



Pファイラー 孔明 伝説の真実20131218 投稿者 okura1919ppp
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英雄たちの選択 戦国の女(1)“おんな城主”の賭け~次郎法師の生き残り戦略~ [映像]

(2017日)どうやら大河が決まっているにもかかわらず、
昨年末に発見された文書で直虎と名乗っていたのは男だった可能性が出てきたそうだ。

次郎法師が女性であるのは確かで、男が幼い虎松以外死んでしまい、
家督を継ぐこととなる。
戦国時代には彼女の他にも、女性の当主は存在した。

むしろ、男性がいない場合に女性が家督を継ぐ権利を家臣に保障しとかないと、
安心して死んでくれないという事情があったそうだ。

彼女は徳川領に近い今川領の国境付近の国衆だったが、
桶狭間で敗れた今川義元の息子の氏真から「徳政令を出せ」と命じられた。

その意図と次郎法師の対応がこの番組のメイン。

この対応が無かったら、幼かった虎松が井伊直政となって徳川に仕え、
譜代筆頭の彦根35万石を有することもなかった。
面白かったですね。

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http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2017-04-08/21/18260/2473095/
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オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 #10 「テロの時代 ブッシュからオバマへ」 [映像]

(2013米)シリーズ最終巻。前半は力作だったと確かに思う。
戦後のアメリカが「世界の警察官」の役割を果たそうとする裏で、
諜報機関が暗躍する姿や、否定的だったのに自分が大統領となるや核恫喝路線に走るアイゼンハワーの豹変を描いたりと、両面を描き出そうという問題意識が強く感じられた。

が、後半になり、10本と決めていたためか消火試合の様相が見られた。
最終話もそれなりに概観していましたが、
何度もどこかで見たような映像があったので、面白いかは人それぞれなのでしょう。

10本、ようやく終えたので一息です。
私は満腹満足しました。


オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 #10 「テロの時代 ブッシュからオバマへ... 投稿者 0141oniku
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英雄たちの選択「龍馬暗殺 最期の宿に秘められた真相~なぜ近江屋だったのか?」 [映像]

(2017日)どうやら見廻組のようだ。

幕権回復派は、会津桑名で徳川大君政府を考えている。

武力討幕派は、薩摩長州で大名連合政府を目論む。
が、徳川抜き。

それに対して、公儀政体派は土佐と徳川が考えており、
竜馬も、徳川を含んだ大名連合政府を望んでいた。

薩摩や長州の下級武士だけでなく、会津藩主松平容保とも会っている。
また、若年寄格の永井尚志とも前日まで頻繁に会うほど幅広い人脈だった。

「薩長同盟」「大政奉還」を成させた竜馬に幕権回復派はキレ、
どうやら松平容保が見回組に命じた暗殺のようである。
が、竜馬の死により武力討幕派に顔が利く穏健派がいなくなることを意味した。

『お〜い!竜馬』や『竜馬がゆく』を中学生で読んだが、
私には理解できなかったのでしょう。惚れ込んで語る人にも理解できなかった。
が、この番組で全体の構図がつかめ、納得しました。


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http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2017-06-15/10/28095/2473110/

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英雄たちの選択 緊急指令 米国を取り逃がすな!金子堅太郎・日露戦争下の外交戦 [映像]

(2017日)日露戦争を決意した日に伊藤博文から渡米を言い渡された。
ハーバード時代にセオドア・ルーズベルト大統領と面識があり、
終戦を考えて仲介を依頼するためだった。

個人の資格で、ニューヨークにて30回にもわたり講演した。
日本に味方する世論を形成し、大統領の理解を深めた。

ポーツマツ会議での小村寿太郎の駆け引きから、
金銭目的の継戦を望んでいると米国民の反発もあったようだが、
大統領はサイン入りの手紙を金子に届けた。

日露戦争では金策に奔走した高橋是清や小村のことはよく聞くが、
身命を賭す覚悟で渡米した金子の働きを知ることで、
実に多くの人が各々の持ち場で役割を果たしていたのだと改めて感に入りました。

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(写真中央)
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017079284SC000/?capid=nte001
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