So-net無料ブログ作成
検索選択

その時歴史が動いた 戦国の「ゲルニカ」 〜大坂夏の陣、惨劇はなぜ起きたのか〜 [映像]

(2008日)家康が「国家安康」で激怒したという有名な事件だが、
これは、諱(本名)を使われた家康が怒るのも失礼であり理由はあったが、
1614年で70を超えた家康の豊臣を滅ぼす口実が欲しかったタイミング
だったのでしょう。

豊臣家臣片桐且元に、秀頼の参勤交代・淀を江戸に・転封の3条件を出した。
それで大阪で内部が割れ、家康との内通を疑われた片桐は家康につくことなり
茨木城へ向かったが、豊臣急進派の攻撃を受ける。
これが家康の宣戦布告となったようだ。

大阪城内に貯蔵していた金にて、兵3万から10万へと膨らますことができ、
外堀があったので、徳川20万に対峙する準備はできた。

が、土地に詳しい者が家康勢を導いた。
これで、北部から大阪城への砲撃を成功させた。

これにより、淀は休戦を決意、家康の外堀を埋める要求を受諾。
翌年の夏の陣で、大阪の町は悲惨の地獄絵図となった。

その様子を黒田長政が絵師に描かせた屏風が残っている。


大坂 夏の陣・戦国 日本のゲルニカ / その時歴史が... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
nice!(0)  コメント(0)