So-net無料ブログ作成
検索選択

声のデカい人たち

バイクの卒業検定で不合格→大声で文句「何とかして!」→虚偽の卒業証明書発行→生徒を逮捕、教官ら書類送検
http://www.sankei.com/affairs/news/170829/afr1708290031-n1.html


昨年10末に交付した卒業証明書の件で、今頃になって逮捕となった。

一本橋を走れず不合格のはずだったが、合格となった。
それをコイツ彼は自慢げに誰かに話し、神奈川県警に通報されたのでしょう。

不要に大きい声を発する人は、
ゴネ得経験があって計算が働くのでしょうね。

が、いずれシッぺ返しとなるのでしょう。
コメント(0) 

その時歴史が動いた 豊臣秀吉天下統一の必勝戦略 〜小田原攻めに秘策あり〜 [映像-歴史]

(2002日)天正18年(1590年)7月5日、小田原城が降った。
大名の氏直は早期に降伏を考えていたので高野山追放。
氏直の父氏政は断固反対だったので切腹。氏照も切腹した。

こうして籠城戦にて天下統一を成した日は、
戦国時代から近世に移行した日だった。(堺屋説)

この筋書きは秀吉の絵からはじまった。
それを解説する番組。

話自体はドラマでもよくある、

・大名の妻や淀を呼び寄せ、茶会
・一夜城

と、兵糧補給に力点を置いて解説する。

22万人の兵だったが、20万石の兵糧は10か月となる。
そのようなことは、北条勢は考えられない。
1561年に上杉謙信が10万で攻めてきた際も1か月も経ず退却させた。

誤算ではあったが、太閤検地で正確な兵糧計算を可能とし、
大阪湾から船で小田原まで運ぶことを、
予測できなかった北条の甘さ、とするのは酷でしょうね。


豊臣秀吉 / 天下統一への 必勝戦略 / その時歴史が... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

その時歴史が動いた 信長 執念の天下統一 〜大坂本願寺との十年戦争〜 [映像-歴史]

(2002日)秀吉が大阪城を築く前は、本願寺の拠点だった。
1568年に信長が浅井長政と共に上洛し、足利義昭が15代将軍となる。
義昭から副将軍や他の地位も示されたが拒否した信長の目的は
「天下布武」だった。

まず、大阪本願寺に矢銭5千貫と退去を要求した。
むろん受けるはずがなく、血みどろの戦となる。
このころは、義昭と信長の関係は部分的な対立関係はあっても
共同歩調をとっていた。

1570年に、上洛を拒否した朝倉を潰すつもりだったが、
浅井長政が裏切り、「金ケ崎の戦い」から脱走した信長は、
浅井・朝倉と「姉川の戦い」に突入した。

この頃の「信長包囲網」は浅井朝倉の他、三好三人衆、延暦寺、
荒木、六角、筒井など名を連ねる中に、もちろん本願寺も加わった。

が、1571年には将軍義昭が「御内書」で反信長を呼び掛けた。
甲斐の武田信玄、雑賀・伊賀・甲賀の忍者も加わった。

が、1573年に信玄の死により、浅井朝倉の滅亡。
1574年に義昭は京都を追放される。

大阪本願寺は頑張っていた。食料不足で困った際は、
義昭経由で毛利輝元に援助を申し出て、村上水軍が1576年に成功した。
この時の海上輸送を妨害するのに失敗したのは村上水軍の兵器だったが、
これに対して、信長は改善を行い、1578年の輸送に対して九鬼水軍は鉄甲船を準備し、本願寺の輸送路は断たれることとなる。

この状況にて1580年に信長は「勅命講和」を使って本願寺を退去させた。
が、息子の教如が抵抗。放火までしたようだ。
この流れが後の東本願寺となり、数々の「武勇伝」で存在理由が問われることとなったようだ。


信長・石山本願寺との10年戦争・その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

機動戦士ガンダム サンダーボルト 第4話 [映像-他]

(2016日)一年戦争末期のサイド4を舞台にした連邦とジオンの攻防を描く。
限定された空域での物語なので、シリーズそのものの設定を飛躍する活躍の余地は無く、戦争の負の部分を強調したリアリズムに作品は向かわざるを得ない。

その中で、グダグダの悲惨も4話目となる。
シリーズ歴代とは異色の硬派な作品を肯定しつつ、
原作者の挑戦を最後までクールに鑑賞し続けようと思えた16分でした。



コメント(0) 

その時歴史が動いた 古代中国・項羽と劉邦 後編「勝利への60万人の大合唱 四面楚歌」 [映像-歴史]

(2003日)

「四面楚歌」
「背水の陣」
「左遷」

も、この時代を由来としていた。

左遷が、項羽が天下を取り、領地を好き勝手に配分したが、
劉邦が漢中で、単に地図上で左にあったことからだった。

2人の対決の終局の四面楚歌、
劉邦は異なる国や民族で合わせた60万の軍勢に
楚歌を歌わせた。

彼の人心掌握術の賜物だが、
誰かの発案に一笑に付すことなく実行した。
過去にも事例があったのならば司馬遷が残したでしょうから、
恐らく「四面楚歌」が初なのでしょう。

この時代も、奢れる者は滅ぶということを、
劉邦は身に染みて理解し再起したのでしょう。

項羽と劉邦 / 後編 / 四面楚歌 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

機動戦士ガンダム サンダーボルト 第3話 [映像-他]

(2016日)地球連邦政府は学徒出陣の徴兵適齢を中学生にまで下げたようだ。
量産型ガンキャノン40機もパイロットも消耗品だった。

一方、命令する将校も、次々に死へ向かわせる職務に神経をすり減らし、
「薬」に手を出していた。

連邦もジオンも同じ人間だった。
これだけ二足歩行兵器が宇宙で戦っているのに、
人間の義手義足が20世紀で止まっているのは、説明してほしい。



コメント(0) 

その時歴史が動いた 戦国の剣豪、太平を築く 〜柳生宗矩・「活人剣(かつにんけん)」の真実〜 [映像-歴史]

(2007日)父宗厳の代1585年に太閤検地で隠田がバレて所領を没収された。
1594年に家康に200石で宗矩は仕えた。

剣で仕えたはずが、裏仕事を要求される。
元々忍者の出自で伊賀とも関係していた。それを家康は買った。
忍の仕事は当時では表だって誇れるものではなかったようだ。

が、1600年の「関ヶ原」の勝利で秀吉に没収された2000石を戻された。
1601年に秀忠の兵法指南役。
1615年の「夏の陣」で秀忠の陣に攻めてきた豊臣勢7名を宗矩が斬った。

又、家光の兵法指南役にもなり、粗暴な家光に人格的に影響を与え、
それまでの恐怖政治の秀忠時代の武家諸法度が、1637年に改正され軟化する。
そして、全国の大名を監察する大目付となり、睨みをきかした。

剣豪でありながら、人を殺めたのは「夏の陣」の7人だけで、
「活人剣」を提唱し幕府の安定に苦悩し寄与した生涯だった。
改めて、家康は幅広く人を用るのだと寒心しましたね。


柳生 宗矩・戦国の剣豪 太平を築く / その時歴史が... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

機動戦士ガンダム サンダーボルト 第2話 [映像-他]

(2016日)歴代の作品とは一線を画している。
従来では戦士への敬意からだろう、死の瞬間も綺麗に表現していた。
が、この作品では、血、傷跡、死体にリアリズムを持ち込み、悲惨となっている。

が、BGMはジャズが流れており、場違いな優雅な音楽が、
軍の倫理違反行為に対して不快感を増幅させる。

汚らしい現場に拘る作品のようだ。


コメント(0) 

その時歴史が動いた 古代中国・項羽と劉邦 前編「天下を分けた運命の宴 鴻門の会」 [映像-歴史]

(2003日)前半は、鴻門の会まで。いくつかのエピソードの紹介程度ではある。

圧政を行った秦の始皇帝が死に、各地で反乱となる。
楚王の「秦の咸陽へ行く者を王とする」という言葉に名乗りを挙げたのが、
項羽と劉邦だった。

項羽はほぼ直線距離を進み、敵は滅ぼした。
裏切りかねない秦の捕虜20万を生き埋めにもした。

劉邦は、方向を定めず進み、項羽よりも倍近い進軍距離だった。
が、劉邦が先に咸陽についた。

項羽がキレかける。項羽40万 x 劉邦10万なので、
劉邦は臣従の手紙を出し、「鴻門の会」と呼ばれる宴会となる。

劉邦と軍師張良の2人だけで敵陣にいかざるを得なかった。
そこで、屈辱的な対応を受けたが、その内容が今回のメイン。

私は20万を生き埋めにした項羽が義人とされ現在も慕われているというのが
理解しかねますね。


項羽と劉邦 / 前編 / 鴻門の会 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

機動戦士ガンダム サンダーボルト 第1話 [映像-他]

(2015日)どうやら小中学生を排除した作品となる。それはいい。
が、主人公がコクピットでジャズを聴くのが、イラっとくる。

それに耐えれるかどうかだが、内容は悪くなさそうである。
1年戦争末期のサイド4を舞台にどう大胆に別のストーリを作れるのか疑問なので、
期待はしていない。

恋愛モノで恋人を守るために自爆以上の最終話を見ることができるのか、
戦闘シーンが多く、一瞬で多数が消滅し、あるいは悲惨な死体描写もある。
本筋から離れた作品なので途中でダウンするかもしれません。


コメント(0)