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NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」 [映像-歴史]

(2012日)鈴木内閣が昭和20年4月7日から始まる。戦争終結させる為の内閣だった。
が、「一億総玉砕、本土決戦」が建前。

ドイツ降伏が5月8日。そこから日本の終戦工作が激しくなるようだ。

駐スイス公使の加瀬俊一(1920年入省、同姓同名の1925年入省とは別)
の周りで2つの終戦工作が行われた。

1つが、彼が承知していたケース。
この動画で問題になっているのが、加瀬が軽視したケースで、
スイス駐在海軍武官の藤村義一中佐が、CIAの前身のOSSのスイス支局長のアレンダレスに働きかけたことが、日本で終戦活動をしていた元海軍少将の高木惣吉(有名らしい)から米内海軍大臣に伝わった。
が、米内は「ダメだ」と判断し、外務省の東郷大臣に預けた。
東郷は、そのルートを無視した。

アメリカとの直接の和平交渉のチャンスがあったのではないかと、
この動画は問題にしている。

が、もう1つのケースでは、この動画で扱ってないスイス駐在陸軍武官の岡本が、
ダレスから接触も可という連絡を受け、陸軍参謀総長の梅津に電報を送っている。
が、伝わっていないかもしれないそうだ。(7月18日)
また、加瀬も7月21日に東郷に電報で知らせているようだが、
この段階では、16日に原爆実験が成功し17日にポツダム会談が始まっている。

米国の一部では5月の段階で国体さえ認めれば降伏すると読んでいたが、
トルーマンは退けて、原爆責任者のグローブスの線に乗っていたようだ。

いずれにせよ、ダレスとの線に日本側がこの段階で積極的にアプローチすれば、
原爆が落とされずにすんだかどうかを考えさせてくれた動画。

分かりませんね。

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http://www.at-douga.com/?p=6470
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