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50年戦争 イスラエルとアラブ 第2回 失われたパレスチナ ~第3次中東戦争~ [映像]

(1998日英)第3次中東戦争での関係者証言。

ソ連が中東での紛争を望んでいた。
中東で局地的な戦争が起こり、負けようが引き分けようが、
ソ連にとって利益となるとソ連は考えていた。

エジプト議会議長のサダトがソ連にて外務次官から耳打ちされた情報に驚く。
イスラエルがシリア国境付近に軍を進めているとのことだった。

ナセル大統領は参謀総長に確認させたが、実態はなかった。
が、ソ連大使は「間違いない」とのことだった。


冒頭、そういうソ連の謀略からだった。


アラブ側にとってソ連からの最新武器は何としても欲しかった。
が、ソ連は売り惜しみしていた。

6日間戦争の初日、イスラエルの先制攻撃で各国空軍がまず潰される。
イスラエルは、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島を占領。

ナセルは泣き、敗北の責任を認めることを躊躇わなかった。

第3回の主人公は、ナセルだった。
このシリーズは何回か見れば、別のことに気づく編集なのかもしれません。

esyu.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=RB3DcNxfA2M
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オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 第8回 「レーガンとゴルバチョフ」/核兵器全廃への道を閉ざした「大きな歴史の分岐点」 [映像]

(2013米)1964年、トンキン湾事件からベトナム戦争が始まる。
69年に第37代米大統領になったニクソンは73年にベトナムから完全撤退させた。
このことで、右派をも敵とした。

レーガンはSDI構想に夢中で、ゴルバチョフが宇宙の軍事利用を止めるならば、
「核全廃に同意」と再三言っていたが、レーガンは聞こうとしなかった。

監督は、冷戦終結の功績はレーガンではなく、ゴルバチョフと強く憤る。



オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 #08 「レーガンとゴルバチョフ... 投稿者 0141oniku
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50年戦争 イスラエルとアラブ 第1回 建国と亡国 第1次・第2次中東戦争 /BSドキュメンタリー [映像]

(1998日英)NHKとBBCの共同制作ドキュメンタリー。全6回。
生存する関係者へのインタビューに拘った貴重な映像でしょう。

1948年のイスラエル建国から1995年のオスロ合意までの歴史。
第1回は、イスラエル建国と第1次・第2次中東戦争。


1948年5月14日、イギリスによる委任統治の終了日、
初代首相となるベングリオンは、独立を宣言した。

その前年の1947年11月の国連によるパレスチナ分割決議の後、
「ユダヤ機関」議長だった彼は、シャレットを渡米させ、
アメリカの支援を働きかけたが、国務長官だったマーシャルは難を示した。
が、トルーマンは好意的であり、独立宣言後、速やかに承認している。

が、この件でマーシャルはトルーマンの1948年11月の選挙を持ち出し、
恫喝するという場面もあったようだ。
それだけセンシティブであり、アラブを敵にすることを望まなかったからだった。

独立宣言した5月14日にアラブ連盟5カ国が戦争を宣言した。
ベングリオンは少数で戦い、国を守った。

彼が引退してシャレットが第2代首相となるが、
軍を掌握していたベングリオンが勝手な動きをしていた詳細は血生臭かった。

生存者のインタビューが豊富に収められているので、
面白かったですね。

beruguri.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=-PeWQDUvIpA
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変わりゆく戦争兵器 巡航ミサイル [映像]


(2017日)トマホークの歴史を概観する。
1903年に有人動力飛行がライト兄弟により成功する。
が、これをミサイルで使おうと考えた者がいた。

1918年には実験で成功している。
第2次大戦ではドイツがイギリス本土にミサイル攻撃していた。

現在のトマホークの性能は標的を確実に攻撃できるまでになる。
事前にターゲットの写真を記憶させ、カメラで取り込んだ画像と照合させる。
GPSで位置を把握しているので、外れることがないようだ。

兵器知識が皆無に等しかったので、新鮮でした。
興味がある人には面白いでしょうが、まだその段階ではないですね。

tomaho.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=nWm7PpsyacY
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その時歴史が動いた 音楽の市民革命 〜神童モーツァルトの苦悩〜 [映像]

(2008日)モーツアルトは1791年に35で亡くなっているが、
そのフランス革命の中、『魔笛』を公開し大成功を収めている。

6歳で神童と宮廷貴族の庇護を受け、14でオペラを作る。
が、20で新領主より、オペラを禁止された。
許されたのは教会聖歌だった。それはそれでよくとも、
本来したいことを禁止されるのは苦痛そのものだった。

そのような中で、策を図って、オペラの許可を得る。
『フィガロの結婚』で貴族を批判し、自由と平等を唱えた。

フランス革命にて、その自由と平等が行き過ぎ、王を含め
反革命対象者の粛清の嵐と財産の没収が行われる。
カトリック教会の財産は狙い撃ちにされる。

革命の負の部分でモーツアルトが絶望する前に他界したのだろうが、
彼の『魔笛』は1791年で、音楽を一般人に開放した意義は特筆なのでしょう。


[youku] その時歴史が動いた(東京1) - 2008年04月09日(水) No.321... 投稿者 Sotacrown224
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征服する世界史 中世ヨーロッパ編 ビザンツ帝国 [映像]

(2016日)youtube散策しているとこの動画が登場し、
14分と短かったので見ることにした。

「征服する世界史」というシリーズだそうだが、
今回、「ビザンツ帝国」で初だった。

覚えることが少なく、395年~1453年まで存在したこと、
全盛期、6世紀初めにユスティニアヌス大帝時代に
ハギア=ソフィア聖堂が作られたこと、
ヴァンダル王国と東ゴート王国を滅ぼした程度だそうだ。

センター試験レベルということだろうか。

受験勉強の動画に楽しいと思えました....(以下略)


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オリバー・ストーン もうひとつのアメリカ史 第 7回 ベトナム戦争 運命の暗転 [映像]

(2013米)ベトナム戦争を扱う。

1960年のアイゼンハワー政権では、685人の軍事顧問団が南ベトナムにいただけだが、
1963年11月のケネディー政権時、16263人だった。

が、10月31日に「1963年の末までに軍事顧問団から1,000人を引き上げる」と発表した。

ケネディーがベトナムへの介入に消極的になったこともあるだろう、暗殺となる。

その後のジョンソンで、1964年トンキン湾事件にて、始まった。

ベトナムへの爆弾の投下量が、第2次大戦以上だった。
米軍は約5万の兵の犠牲で、ベトナムでは340万の兵や民間人が死んだ。


そのような多大な犠牲を伴う戦争で、反戦運動が起きないはずがなかった。
共産主義が反戦運動に介入している現実があろうがなかろうが、
一般人の感覚からしても泥沼化する戦争は反対だった。

FBIが反戦運動家を調査リストの対象とする。
キング牧師も含まれていた。

日本では基地を貸しといて、他人事であろうはずはなかった。


オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 #07 「ベトナム戦争 運命の暗転... 投稿者 0141oniku
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アニメで見る旧ソ連の理想と現実 [映像]

約2分のアニメ。出どころ不明。

どうでもいいところですが、「電力柱」ですかね?
歩く姿に「これぞ社会主義」とウケました。

久々に社会主義ネタで笑いました。

(一部、不快描写あり。)


anime.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=X22b4WuC0lQ

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M-1グランプリ2003 [映像]

(2003日)2001年版から見て3回となると、耐性がついてきて、
前半位までは、冷静に見れるようになった。

フットボールアワーが3回目の出場となり、
目に見えて熟練した落ち着きで漫才を披露していた。

ネタの準備と練習の賜物で計算しているのでしょうが、
それを感じさせないのが見事だった。

今回、辛口の点数がでなかったのは、
前回までの反省からか、極端に低い点をつけるのは止めようという合意があったのでしょう。
審査から毒が抜け、ブラックなコメントも無くなっている。

清々しい番組になっていました。


M-1グランプリ2003 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: R and C Ltd.
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オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史第6回 J.F.ケネディ ~全面核戦争の瀬戸際~ [映像]

(2013米)キューバ危機がメイン。ケネディーもフルシチョフも軍を完全にコントロールできなかった。

米海軍は、公海上でソ連潜水艦を捕捉。演習用爆雷を投下した。
が核搭載潜水艦とは知らなかった。一部故障し本国と通信ができず、
米艦隊がいるため浮上もできない。

戦争になったと判断した艦長は核攻撃を決断する。
3人の全会一致で核攻撃が可能だったが、副艦長のアルヒーポフが拒否権を発動したことで、核戦争が防がれた。

が、今度は、ソ連側がキューバ上空の米軍機を攻撃した。

米統合幕僚本部は激怒し反撃を主張するが、ケネディーは慎重だった。
弟のロバートが駐米ソ連大使に会うこととなり、フルシチョフも了解した。

トルコに配置したミサイルが条件だったが、
これがケネディーが共産主義に屈したと強硬派からの非難となる

制御できないところで勝手に進行する現実に抑制的に振る舞い、
核戦争を防いだケネディーだったが、暗殺されることとなった。

その後の調査に疑問が残った。


オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 #06 「J.F.ケネディ 全面核戦争の瀬戸際... 投稿者 0141oniku
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