So-net無料ブログ作成
検索選択

BS歴史館 大名の生き残り策  長州藩・毛利家 大リストラからの復活劇 [映像]

(2013日)毛利家300年を概観する。有名な元就の「3本の矢」の戒めはあったものの、
孫輝元1600年の「関ヶ原の戦い」の参加を独断で決め総大将となるも、
同じく元就の孫・吉川広家は家康と通じており、また小早川秀秋も寝返る、などまとまらず戦となった。

元々、安芸の豪族にすぎなかった毛利家は、9カ国120万石の大大名になり、
関ヶ原で、2か国38万石と激減する。滅ぼさずに虫の息で生かして置くという
家康のイジメであり、他大名へのミセシメとなった。

その過酷な江戸期270年、毛利家だからこそ、徹底的な反幕思想の継承と、
経済力の育成のため徹底的に合理性に拘ることができたのでしょう。
その基礎となるのが、「行政文書」を細かく残すことだった。
蓄積された文書を閲覧することにより、身分を超えてノウハウを身に着けることができた。
能力を身につけた下級武士が「御前会議」で堂々と改革案を述べることが可能だった。
このシステムにより幕末期の下級武士の青年を誕生させることができた。

現在、「森友騒動」で、官僚の「メモ」が無いことになっているが、
この件で、安倍が長州藩の「記録を残す」ことの「誇り」を嘲笑っていると考えるのは、
考えすぎでしょう。


2013 BSR 長州 毛利家0523 投稿者 okura1919ppp
コメント(0)