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その時歴史が動いた シリーズ秀吉の猛将 前編「戦国の風雲児 法の世に散る 〜福島正則 広島改易事件〜」 [映像-歴史]

(2008日)加藤清正と共に秀吉の小姓で、親戚でもあった。
数々の武功を上げたが、石田三成とは険悪だった。

よって1598年の秀吉死後、秀頼を補佐する五奉行五大老の合議制となり、
大老の一人前田利家が死去した日、加藤清正と共に三成を襲撃する。

三成が仲裁を頼った家康の裁きは三成蟄居で、清正・正則は不問だった。
当時は家康も秀頼を補佐する建前があり、清正・正則は三成よりも家康を信頼した。
ここは、武人のケミストリーというヤツなのかもしれません。

正則は1600年6月の会津征伐に従軍した。
が、7月に三成が挙兵。

正則らは東海道から西進。関ヶ原では先鋒を務めることとなる。
そして安芸備後の広島49万石の大大名となった。

が、彼らは、幕府ができた後も、秀頼を盛り立てようと清正と共に忠義を尽くそうとした。
そして、1616年の家康死後、秀忠に睨まれ、
杓子定規なコンプライアンス違反で、改易となる。
その後も残酷な結末でした。

「江戸時代、天下泰平の300年」というフレーズが空々しく響きますね。


福島正則 : 広島 改易 事件 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantine-basileus-z
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