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その時歴史が動いた 戦国 出世の方程式 藤堂高虎 大坂夏の陣の大勝負 [映像]

(2005日)近江で生まれた高虎は、1970年の「姉川の戦い」で、15の初陣だった。
かつて藤堂家は地元のいくつかの村の領主だったが、農民だった。

そこからだった。転職を重ねた。

身長が180程の巨体で、はじめは武功で名をあげた。
戦の功を監視する「目付」がいて、高虎は浅井長政に刀と感状を貰った。

阿閉貞征、磯野員昌と仕え、信長の甥の織田信澄にも仕え活躍するが、
しばらくすると辞めた。

が、1576年に秀吉の弟秀長に300石で召しかかえられた。
当時の秀長は8500石だったこともあり300石は喜んだでしょう。

そして、武功を重ねるが、それに限界があることを悟り、猛勉強をした。
そして、「築城」の特技を得、秀長の家老にまでなった。

が、1591年に秀長が死去し、養子の秀保(秀吉の姉の子)に仕える。

が、1592年に秀吉に男児が生まれるや、逆風で身の危険を察知、高野山に出家。

他の同僚が秀吉に睨まれる中、高虎は2万石から伊予宇和島7万石へと
加増され秀吉の家臣となった。

が、1600年の「関ヶ原」では家康につき、会津征伐に従軍。
大谷吉継との死闘や、諸将の寝返り工作と働き、20万石に加増。

1615年の「夏の陣」で長曾我部盛親に先陣で突っ込み、多くの死傷者を出す。
その戦いは、ハイリスク・ハイリターンの「賭け」でもあった。
その功により、伊賀と伊勢で27万石となる。


これだけの経歴を持ち、家康の死去の枕元に侍ることを許され、秀忠にも仕えた。

口先の世渡り上手ではできない領域のことを彼はやっていた。
私は、信長・秀吉・家康に感情移入できませんでしたが、
この人には脱帽と感動を禁じ得ませんでした。


藤堂高虎 : 戦国 出世の方程式 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantine-basileus-z
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